2012年07月28日

死もなく、怖れもなく、その3〜死の概念を書き換えること

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(超音速肩たたき)

前回はひとっ跳びに、もしかしたら死は存在しない? という話まで行ってしまったが、少し日常に戻ってみよう。

うちの息子は2歳になったばかりだが、死の概念をまだはっきりとは持っていない。虫が死んでいるのを見て、「動かないね〜」とは言うのだが、それを死んでいるという言葉で表すのを教えているところだ。「死んでる」という言葉は憶えたものの、それがどんなことなのかはわかっていない様子である。

子どもはこのようにして、死とは何なのかを実例を参照しながらだんだんと理解していく。実際の死を目の前にする経験を積まないと、死のことはわからないだろう。ちょっと目には寝ているのと変わりがないからだ。

死ぬと皆が悲しむ、死ぬのは嫌なことだ、怖いことだ。大人がそう言ったり振る舞っているのに習いながら子どもは成長する。もしも、そういった価値観を教えられずに育った場合、人は死に対してどういった印象を抱くようになるのだろうか?

肉体の変化は明らかだ。変色し、変形し、悪臭を放ち、分解していく。そして環境中に溶け込んでいく。心はどうだろう? 話さなくなり、音を立てず、反応がなく、意思疎通ができなくなる。分解していく肉体には、もはや心がないように思える。

しかし、現前する姿や生々しい記憶が残っているあいだは、その生き物や人が突然いなくなったという実感はないだろう。生命体は、時間をかけながら段々と他の状態に移行していく。寄り添ってつぶさに感じとれば、死とは突然の断絶ではなく、徐々に起こる段階的な変化だということがわかるだろう。あくまで、「死とはこういうものだ」という先入観なしに観た場合。

子どもに戻って、概念化される以前の死をありのままに観察する−その方法が仏教の古い瞑想にある。「九相観」である。それにおいては、死んでからの肉体の変化を九段階に分けて瞑想する。これはあくまで肉体の分解だが、他にも肉体のみでなく、心にもあらゆる現象にもこれに通じる瞑想法がある。そのテーマは、「無常(あらゆるものはつねに変化し続け、永遠不変のものはない)」である。

何ひとつとして留めることはできないという真実を知るために九相観はあるのだが、余計なことを教えられなければ、子どもは感覚的にこの「無常観」を備えているのではないかとおもう。

死は悲しいものだ、いやで怖いことだ。死ぬのは敗北だ、苦しみだ、無い方がいいものだ−こういう発想の数々は、大人が教えなければ、こんにちぼくたちが悩まされているほどしつこくつきまといはしないだろう−ある程度自然にそう思うようになるにしろ。それほど現代は死をタブー視し、憎んでいる。人の死亡率は100パーセントなのに。

伝統的な価値観の社会に生きる人々を見てみると、その多くが死を尊厳あるものとして、ひとつの意味ある段階として、違う世界への扉として考えていることがわかる。伝統的とは、より本能的、直感的、総合的で、人間の心の法則に沿ったという意味である。

うちの近くに、看取りを目的とした施設であるホスピス「ピースハウス」があるが、その玄関には蝶のレリーフがある。そしてエリザベス・キューブラ―・ロスの、「人は死によって蛹から蝶になって羽ばたくのだ」という言葉が添えられている。現代人でも、このような普遍的な視点を持った人はいる。

日常レベルでは、たしかに死んでその人は居なくなるように見える。しかしその意味合いは、見方によって大きく変わる。肉体も心も分解して組み変わる、と前回書いた。科学的な見地からするとそれは真実だと思うが、それを看取するずっと手前に日常的な死の手触りはあって、人を脅かす。

一般的な葬式や年忌のなかでは、死についての具体的で細やかな振り返りはほとんど見受けられない。そうして、参列者は皆自分だけは死なないと思っている。ごく近しい遺族以外は悲しみの程度もわずかで、終わってしまえば、今年は何回葬式に出たという数のなかに他者の死は埋没する。

人の死こそ、自分の死について習う最高の機会だというのに、またそうした機会は数多く提供されているのに、とりわけ宗教家や死にまつわる職業人は、儀式の際に彼ら自身さえ死なないかのように振る舞い、上滑りな言葉を弄している。

死について考えることは、抽象的なことではなく「私の死」を考えることだ。人が死ぬのを見てもそれは人の死だから、いっこうに恐くはない。恐くなるのは、自分もあんなふうに死ぬのか、いやだな、と想像するからである。

しかしその想像そのものが、じつは子どものころから教え込まれ、学習された結果なのだ。そうして、死に対するネガティブな先入観を抱いたまま、現代人の多くが歳をとり最後の時を迎える。そこに欠けているのは、死へのリアリティであり、死によって照らし出される生のリアリティだ。

「自分は死なないはず」という幻想と、「死は存在しない」というリアリティはまったく違う。前者にあるのは、肉体をはじめとするこの世への執着と死への嫌悪で、後者はつぶさに死に向きあった結果、見えてくる真実だから。

・・以下はおまけのつぶやきと予告

このブログでは、あんまり一回を長くしない方針なので、またもや次回へ続くになってしまう。もっと気楽に書こうと思ったのに、長くしかも要領を得ない書き方になってしまった。

困ったな、あまり深い話にもならないつもりが、話題が死だからか、いろいろに広がってなかなか終わらない。(いま気づいたんだけど、文章がツイッターくらいの長さに区切れている。モニターで見やすいように、わざと3〜4行で行間を開けて書くようにしているのだが、こういう文章はツイッター向きなのかもしれない。ちなみにツイッターは食わず嫌いで、アカウントをとった以降手を付けていない)

原則的に推敲しないので、文章は書いているうちに間延びしがちになる。そう長くしないうちに、次回を書こうと思う。

--次回、死は存在しないという話。ふつうここでは引用はしないのだが、哲学者の池田明子氏の「十四歳からの哲学」(タイトルはやさしいが、じつはすごい本だ)と禅僧ティク・ナット・ハンの「死もなく、怖れもなく」(もともとここからタイトルをいただいた)がふたつのテキストである。

ぼくが死について(あるていど)安心していられる内容について、この両書が非常に明解に述べている。前者は徹底的な思索によって、後者は思考を止めリアリティを見抜く瞑想によってだ。

死とは、光がシュヴァルツシルト面(ブラックホールの事象の地平線)を超えることと似ている。その先の世界からはいかなる情報もフィードバックされない(はずだ)。ホール内部では、自分という概念も原子より細かく砕かれる。しかし、どこかにホワイトホールがあるとすれば? まったく違った形で吐きだされるものや情報があるのかもしれない。

(仕事をしていることになっているぼくは、ときおりトイレに起きてくる妻の足音にドキッとして、思わずパソコンを閉じることがある。今日「腎臓に悪いわよ」とひとこと。死を怖れるはるか手前で、ぼくには怖れを克服しなければならない課題があるらしい)





posted by ダー at 00:08| Comment(2) | TrackBack(0) | スピリチュアル・瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死について、いろんな場所でいろんな意見を聞いてきましたが、僕は死ぬことを怖れてはいません。毎日が最後の日かもしれないと思っているからかもしれません。
死んだら何も残らない、虚しいという人もいれば、地獄に堕ちたり天国に昇ったりという来世のことを案じている人もいますが、僕は魂がこの肉体を離れ、地球人を卒業することがこの世での死だと思っているのと、次に魂がどこへ行くかは自分で決めることだと思っているので、さて次はどこへ生まれるのだろうか、と楽しみさえ覚えています。
なので、がん宣告などを受けても手術をするつもりはありません。近代医学を信用していないからです。西洋医学である近代医学は、魂と身体を別のものとしてとらえているのか、魂が無いものと考えているのか、肉体だけを修理しようとしているようにしか思えません。そんな西洋医学偏重が、私たちを死から遠ざけてしまい、死を考察しなければならない状況に陥れたのではないかと思います。
生きさせるために死なないようにするのか、死への旅路をのばすために生きさせようとするのか、いずれにしても生きることがよく、死ぬことが悪いことだという考えが元になっているのではないでしょうか。
適当な時期が来たら死んでやらないと、子供たち、次の世代が困るばかりです。
死を恐れずに生きるだけではなく、いい死を迎えるために今日の今を精一杯生きることが幸せなのだと思います。
この思いは、これまで僕の前で生き、生かされ、去って逝ったペットの動物たちから教わったのかもしれません。

お元気そうですね。腎臓に気をつけて、人の役に立つ限り、長生きしましょうよ。
Posted by 永峰秀司 at 2012年07月28日 11:32
みねさん
久しぶりに、ありがとうございます。
自然の中で過ごすことの多いみねさんだから、余計にそう思われるのでしょうか。

とても吹っ切れた心境に、爽やかさを感じさせられました。ぼくも、ある程度としか言えないのですが、死については安心感を持っています。

腎臓は、生まれつきけっこう弱点ですね。怯えるのがいけないんです。ですから、のびのび行こうと思いますよ。

また会いたいですね。
Posted by Dah at 2012年07月30日 20:49
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