2013年10月11日

スピから脱出するために

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何回かまともでない現実逃避のスピリチュアルについて書いてきたけれど、それも、ぼくのまわりの(皮肉ではなく)本当にいい人たちがはまっているのを見ると、彼らに早く「行き詰って」まともな探求に帰ってきてもらいたいと思うからだ。

スピは時代の流行病だから、放っておいても長続きするわけはないのだが、幸せと逆方向に走る人たちを見ると、引き返すなら早いほうがいいとお節介なことを言いたくなる。今はよくても、歳とってからそれ続けるのは辛いと思うよ、正直。

せっかく心と体をもらって生まれてきたのだから、きっちりこの世でやることやって行こう。たとえ苦しみの道でも、それが門なのだから。そのうちきっと「思うようにはならない」老年がやってくる。そのときになって現実に直面するのはかなり辛いのだ。

いわゆる未開社会の文化としての集合的迷信とも違う、高度資本主義社会の退行現象としてのスピは、何もかもを物質に還元し、等価交換可能にしようとする精神の物質化の最たるものだ。

彼らは運命と取引きしようとする。「これをあげるからそれをください」と、傲慢にも神に言ってのける。最終的には人生はつじつまが合うはず、ナイーブにもそう信じこんでいる。「不条理」というリアリティは、頭の中にない。

運命の残酷な鉄槌が下る前に、浅知恵を駆使して「そうなるはず」の安全策を講じようとするが、人生は、不治の病、人の裏切り、ひどい仕打ち、突然の離別、喪失などを袖の下に隠していて、「そうなるはず」もなく、人をからかうかのように不意にそれを差し出してみせる。

そんなとき、普段から都合よく物事を解釈する小手先を弄していた人たちは、極端に打たれ弱い。「虹が見えたからいいことありました」、「黄色のお財布でお小遣い引き寄せちゃいました」的な? 浮かれポンチはぺちゃんこにされ、なすすべもなく現実に引きずり回される。人生に予防策などないのだ。

最初から、まだ冷静でいられるうちに、現実との付き合い方の練習をしておくべきだ。チャクラにエネルギーをあてたらインナーチャイルドが喜びました、それで解放された気がしますってんなら、まともなセラピーも信仰もいらないだろう。そういう場合には、「癒されるな、直面せよ」とでも書いて、机の前に貼っておくべきだ。

ぼくは、ある種のチャネリングや占いや石などの手法自体が悪いと言っているのではない。それらの多くには伝統的な背景があり、時代を通じて少なからぬ人びとが恩恵を受けてきたという事実がある。それらが生かされるのは、コンテクスト(社会や文化の中での位置づけや評価、信頼関係、他の手法との連携など)がしっかりしている場合に限る。

しかし、そういった手法のほとんどが西洋経由の実利主義や個人主義のフィルターを通じて輸入され、「いいとこ取り」で恣意的に利用され、エゴを肥大させることが恐い。そういう手法を利用して少しでも早く効率的に幸せになろうとする、「その根性」がすでに不幸への片道切符なのである。

そうした逃げ腰な態度が、自分自身にも罪悪感となって付きまとう。だから、親兄弟にも、私はこういうことやってますと堂々と言えないし、言ったところで気味悪がられる。治療行為の国家資格を持った医者なり看護師に対して、変に卑屈になり反感を持つのも、この罪悪感の裏返しだ。

ヒーラーでもチャネラーでも占い師でも、そういう卑屈さを持っていない人を少数ながら知っている。彼らはメインストリームの治療者とも協働するし、対等に話すことができる。独りよがりではなく、コンテクストをちゃんとわきまえているからだ。手法云々より社会意識をしっかり持っているからだ。

ぼくのところに来られるクライアントさんも、たまにそういう業界の人がいる。仲間内で癒しゴッコをやっているとき、彼らは病む。せっかく身に着けた手法ならば、それをもって社会に出て役立ててくださいとぼくは言う。それが「トンデモ」で終わるか、一般に受け入れられるかの境目がここにある。

スピから脱出して、まともなヒーリング、チャネリング、占い、エネルギーワーク、、、そういうものはたしかにあると思う。

そのためのガイドラインをランダムだけれど拾ってみた。まだまだ他にもたくさんあると思う。

*社会のコンテクストの中に置いて、客観的にその手法を生かす道を意識すること。とくに同種の手法との関連を持つこと。

*外的な(エネルギーや神秘的力など)によって癒されるのではなく、それらは補助で、自分自身への(苦しみへの)直面なしには癒しは起こらないと知ること。

*いいとこ取りをしない。スピリチュアルは両刃の剣であると思うこと。

*「自分が幸せになる」という言葉に「?」をつけてみる。この発想がそもそも何かおかしいと思ってみること。

*スピの世界に入ったきっかけを思い出し、その傷を癒すことに取り組む(そこですぐに「石」に頼らずに!)。

*できれば社会に広く認知されている手法や知識などについても学ぶこと。その際、自分の既成概念に引き寄せない(とくにばかにしない)こと。

*本当の意味でのスピリチュアルな人をモデルとして学ぶこと。社会に広く認知され、書籍もよく読まれている人がまずはお勧めである。

少しでも多くの人が、「スピ」から脱出し、スピリチュアルに目覚めますように。


posted by ダー at 16:32| Comment(2) | TrackBack(0) | スピリチュアル・瞑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
携帯がこの記事を教えてくれて、久しぶりでダーさんの記事を読んだ(ダーさん、ごめん)。
だいぶダーさんが出てる気がして、遡って読んでみた。今月に入ってトーンが少し違う気がした。
昨年末に、ダーさんから、心が開けて来たから、いろいろな出会いがあるよと予言された。確かにその通りになった。
今月になって、他の人の心にダイブしているかもしれないと思うようになった。
これまで自分の心をガードするのに精一杯で、誰かに心を開くとか、まして誰かの心にダイブするなんて予想もしなかった。
もちろん、自分の意識は、みんなと同じようにオープンマインドだと錯覚していたが。
今にして思えば、鎧着て戦車に乗って、会社に出掛けていた。そして、寄らば切るぞとばかりに、刀を振り回して、弱いハートを守っていた。
心が開けたのも、長い自助会生活があったからだが、昨年5月に始まった美人カウンセラーからの承認が大きい気がする。
もしかしたら、他の人の心にダイブ出来るようになったのは、アンフーンさんから受けた慈愛が大きいのかもしれない。
瞑想は、頭の中を浮遊するゴミ(思考・雑念)を沈殿させてくれて、心の感受能力と真の思考能力を高めてくれる。
しかし、愛が無かったら・・・と、いきなり新約的表現になってしまうが、慈愛が無かったら、僕(達)は自分を開いて先に進めなかった気がする。
「英雄の旅」という本を買って読み始めた。ユングの元型論とキャンベルの神話学の子供みたいな本を、楽しく読んでいる奴は少ないだろうと思っていたら、複数の瞑想仲間が読み始めたのが分かった。
この本を読み始めたせいか、自我の懐から、元型たちが他の人の心に飛び込んだり、戻って来たりするイメージが湧いてきた。
不思議が一杯のこの世界に目が開けて来た気がする今日この頃だけど、もう57歳。いや、まだ57歳か?。
出遅れたスピ爺さんという気もするが、一応この世のことも一通り勤め上げた。
それもそれも、僕の守護霊・背後霊(団)の計画のような気もする。
今は、満天の星空に目を向けて、不思議一杯、ワンダフルとつぶやいている自分のイメージが湧き上がる。
ダーさんは、書くべきことを書くために、いまここにいるんだね、きっと。
Posted by 信太郎 at 2013年10月12日 01:57
信太郎さん

長く、気持ちのこもったメッセージありがとうございます。

やはり、アンフーンさんは大きな影響を残してくれましたね。最近このブログもたんなる覚書ではなく、何らかの意味をこめて書くような、そういう気持ちになってきているのは、やはり彼女のおかげかなと思います。

信太郎さんとも、そういう旅路をともにできることがうれしいです。なにとぞよろしく。
Posted by Dah at 2013年10月12日 20:34
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